大工調べ(だいくしらべ)
●「おう、いるか」
「あぁ、棟梁」
「なんだい、ぼんやりして。まぁ、いいや。明日から番町の方の屋敷の仕事が入ったんでな、今日のうちに道具箱を屋敷の方に持っていて、明日は手ぶらで行こうと思うんだ。与太の分も、うちの若い者に持っていかせるから、用意しておいてくれよ」
「それは困ったなぁ。いえ、別にほかに仕事があるんじゃないんだけど、店賃の代わりに大屋さんに道具箱もっていかれてしまって」
「まったく、何をやってんだよ。で、店賃はいくらためてんだ。1両2分と800文だ? えらくためたなぁ。まぁ、いいや。ここに1両と2分あるから、持って行って、道具箱を返してもらってこい」
「800文足りませんけど」
「なに細かいこと言ってんだい。800文ぐらい、あとで持っていくからと言って、とりあえず道具箱返してもらってこい」
ところが、ちょっとした言葉のもつれから、大屋さんがへそを曲げて返してくれなくなったものだから、話はどんどん大きくなり、最後は裁判沙汰になります。
落ちは、大岡様が大屋をやり込めた後で、「さすが大工は棟梁(細工は流々)、調べ(仕上げ)はごろうじろ」
(http://homepage3.nifty.com/~tomikura/rakugo/t.html#DAIKUSHIRABE より転載)
…そこで、これから落語を一所懸命に聴いてみようと、心に決めました。その頃、大学は学生運動が激しくなってきたときで、しばしば授業が休講になってしまいました。わたしは、このときとばかりに、新宿にある「末広亭」という落語の定席に出かけていきました。そこで、立川談志の高座に初めて出逢い、「大工調べ」を聴いたのです。昭和43年の4月のことだったと思います。
この「大工調べ」が鮮烈な印象を残しました。なにより、登場人物の与太郎が、知能程度の低い、いつものお馬鹿さんではなく、物事に対して素直に反応する現代ッ子だったのです。この高座で、すっかり談志のファンになってしまいました。
(http://masuhiroblog.blog53.fc2.com/?mode=m&no=13より転載)
(山本益博)
実をいうと、学生時代に一番先に聴いた談志さんの高座が、新宿末広で聴いた「大工調べ」だったんです。与太郎がものすごくモダンな演出だったんです。ただバカで間抜けでというんじゃなくて、これはすばらしいと思った。
それについて以前、僕は原稿を書きました。でも『談志一代記』の吉川潮さんとの座談会で言ってます。「大工調べ」で棟梁が道具箱を取り返しに大家のところに駆け込みに行くと、すごく正論をぶつけて、道具箱をなんとか取り返したときに、「与太、お前もいってやれ」って言うじゃないですか。そのときに、与太が大家の味方になっちゃうんですって。「棟梁それちょっとおかしいよ」って言い出しちゃったっていう。「だから最近はやってる最中でも落語が変わっちまうんだ」と言ってるんです。その「大工調べ」を聴きたかったなぁっていう気持ちがものすごくあるんです。だってそれは談志師匠しかできないんですから。
落語をやっていながら、自分が矛盾に気がついたところを、ある瞬間、高座の中でも直してしまえる天才でした。だから型が決まってて、ストーリーを絶対守ってサゲまで持ってかなきゃいけないなんて、そういうのだけが落語じゃないということを、初めて示してくれた人じゃないか。談志師匠はそういう人ですよね。
(http://president.jp/articles/-/7878?page=3より転載)