居残り佐平次(いのこりさへいじ)
●右を向いても左を向いても貧乏人が集まったとある長屋。その輪にいた佐平次という男が「品川にある遊郭に繰り出そう」と言い出した。金もないのにどうやって?と思いながらも一同、品川へ。 一泊して後、佐平次は「実は結核に罹って医者から転地療養を勧められていた。だからここに残る」と言い出し、ほかの仲間を帰した。 その後若い衆に「勘定はさっきの仲間が持ってくる」といい居続け。翌日も「勘定勘定って、実にかんじょう(感情)に悪いよ」とごまかし、その翌日も居続け、しびれを切らした若い衆に、「あいつらなんて知らないよ」「金?持ってないよ」と宣言。店の帳場は騒然。 佐平次少しも応えず、みずから店の布団部屋に篭城した。
やがて夜が来て店は忙しくなり、店は居残りどころではなくなった。佐平次頃合を見計らい、(勝手に)客の座敷に上がりこみ、 「どうも居残りです。醤油もってきました」 「居残りがなんで接待してんだよ・・ってやけに甘いな、このしたじ(醤油)」 「そりゃあ、蕎麦のつゆですから」 「おいおい・・・」 などと自分から客をあしらい始め、謡、幇間踊りなど客の接待を始めた。 それが玄人はだしであり、しかも若い衆より上手かったから客から「居残りはまだか」と指名がくる始末。これでは彼らの立場がない。 「勘定はいらない。あいつに出て行ってもらおう」となった。
佐平次は店の店主に呼び出され、「勘定はもういいから帰れ」といわれ追い出された。しかもその折に店主から金や煙草をせびり、もらっていく始末。 心配でついてきた若い衆に、 「てめえんとこの店主はいい奴だがばかだ。覚えておけ、俺の名は遊郭の居残りを職業にしている佐平次ってんだ、ガハハハ・・・」と捨て台詞を残して去っていった。 若い衆は急いで店主に報告する。すべてを知り、激怒する店主。 「ひどいやつだ。あたしの事をおこわにかけやがったな」 そこで、若い衆が一言。 「旦那の頭がごま塩ですから・・・」
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E6%AE%8B%E3%82%8A%E4%BD%90%E5%B9%B3%E6%AC%A1 より転載)
いつ録音した噺なのか不明ですが、20年以上前は確かです。 この噺は廓噺の中の名作のひとつでしょう。
佐平次の調子のいい、ずうずうしい小悪党ぶりは談志にうってつけです。
居残ったあとの活躍(?)ぶりは小気味いいほどです。
売れっ子の紅梅の客、勝五郎にすっかり取り入り、よいしょをして持ち上げ、酒、肴、祝儀までもせしめるくだりは圧巻です。
勝五郎が目尻を下げ、鼻の下を伸ばしていく様が目に浮かびます。
この噺のおちは談志が工夫したものです。
「裏を返す」とは、遊女と初めて遊ぶのを「初会」、二度目が裏を返すという意ですが、これも今では分かりにくいかも知れません。
本来のおちは、ただで遊びそのうえ200円ももらって表から出て行った佐平次のあとをつけて行った店の若い者に佐平次は、自分は居残りを商売にしていると白状する。
若い者からこれを聞いた店のあるじが、「人をおこわにかけて」と怒ると、若い者が「だんなの頭がごま塩ですから。」というさげでした。
「おこわ」とは赤飯のこと。「おこわにかける」は、一杯くわす、だますという意。
赤飯にかけるごま塩とだんなの頭髪の様子をかけたものですが、ちょっと分かりにくいです。
噺の枕の所で少し説明でもしておかないと「一杯くわす」「だます」という裏の意味が分からないでしょう。
(http://homepage2.nifty.com/8tagarasu/inokorisaheiji.htmlより転載)
亡くなった直後、追悼番組として、1979年に収録、放送された「居残り佐平次」が再放送された。当時私は高校生。まだ、ビデオが家に無かった時代に、カセットテープに録音したものを何度も何度も聞いた覚えがある。あのころから、未知の世界への夢、江戸への興味、ジャズをはじめ、好きなことを深く追求するようになったのは立川談志を知り、好きになり、機会を見つけて目を離さなくなってからのような思いがある。・・・・・
家元、ありがとうございました。そして、これからも、思い出とアーカイブで楽しませていただきます。
(http://blog.goo.ne.jp/sh-nohohon-mob/e/f7560f89b0a9f523a1ff59cbe3dafb2bより転載)
「100年に1人の逸材」と呼ばれ、名人の名を恣(ほしいまま)にしたその名席ベスト5を、週刊ポストで『噺家のはなし』連載中の広瀬和生氏に挙げてもらった。
* * *
【1】居残り佐平次
【2】粗忽長屋
【3】三軒長屋
【4】芝浜
【5】紺屋高尾
【1】は、「人間の業」を肯定する演目として、「家元の落語の集大成といえるもの」と広瀬氏は絶賛する。
「家元が作品を演じるということではなく、立川談志という身体を借りて、高座の上で極めていい加減な野郎が暴れまくる痛快さ。これが談志落語の神髄の一つ」
(http://news.ameba.jp/20111129-52/より転載)
“居残り佐平次”は、談志さんが得意とした古典落語のひとつで1979年8月3日に放送されたもの。ハイビジョン特集「立川談志 71歳の反逆児」は、落語の神髄を世に残したいとの強烈な自負・使命感を胸に、自ら叱咤し、反逆者であり続けようとする日々に密着した内容で、2007年2月20日に放送されたハイビジョン映像。
(http://news.walkerplus.com/2011/1125/2/より転載)