※「千早振る」は収録されていません。
千早振る(ちはやふる)
●百人一首を覚え始めた娘から「千早振る神代も聞かず竜田川からくれないに水くぐるとは」の意味を問われた金さんがご隠居に尋ねた。素直に知らないと言えばいいのに、ご隠居の出鱈目にわか講釈が始まった。
竜田川は敵無しの大関だった時に、吉原の花魁、千早太夫に一目惚れするが、千早は「相撲取りの席は嫌でありんす」と振ってしまう。それならと、妹の神代に声を掛けるが、これも言うことを聞かない。
つまり『千早振る神代も聞かず竜田川』だ。
竜田川は故郷に帰って五年間働いて、豆腐屋になっていた。ある日、女乞食が、空腹のあまり、卯の花を分けて欲しいと求めるが、女の顔を見ると因縁の千早だったので断った。
身を儚んだ千早は井戸に身を投げた。
卯の花は『から』。井戸の中では水をくぐるから『からくれないに水くぐるとは』だ。
最後の『とは』は何だと問い詰められて、苦し紛れに『とは』は、千早の本名だった。
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-41.html より転載)
「とは」については、「千早の本名であった」とすることが多いが、この噺ではそれとは異なったサゲが用意されている。出囃子が鳴り終って、最初のひと言を発するまでの「間」。そして、毎回聴くたびに異なるユニークなマクラが鯉昇落語も楽しんでもらいたい。
(https://www.dplats.jp/kura/asp/itemdetail/rakugo-dl-00182s/より転載)
鯉昇版『千早振る』もトーク同様に不条理とも言うべき展開だった。
そもそも、知ったかぶりのご隠居による和歌の無茶苦茶な…理屈が通らない解釈というのがオリジナルの噺のキモである。
それをさらにぶっとんだ解釈にするというのは、一歩間違うと屋上屋を重ねることになりかねない。
しかし、鯉昇版はごくごく自然な爆笑噺になっている。
「ナイル川、チグリス川・ユーフラテス川、インダス川、竜田川…と来たら、何だと思う?」「川の名前ですか!」「違う! 外国人力士だ」
ちょっとめまいがした(笑)竜田川がモンゴルから来た力士になっている。
当然、千早太夫に振られて引退した竜田川は、モンゴルの実家で豆腐屋を継ぐわけだが、その店舗はちゃんとパオ(ゲル)だったりする。千早太夫はウランバートルの富豪に身請けされたものの、リーマンショックの影響でその富豪は財産を失ったという設定。「フタコブラクダが近づいて来た。が、よく見るとそれはヒトコブラクダで2つ目のコブと見えたのはボロ雑巾のようになった女の姿だった」とか、妙に描写が細かかったりして。
(http://studio7web.blog45.fc2.com/blog-entry-53.htmlより転載)