文七元結(ぶんしちもっとい)
●本所達磨横町の左官の長兵衛は腕はいいが、博打にこり家は貧乏だ。娘のお久が吉原の佐野槌に自分の身を売って急場をしのぎたいと駆け込む。返済期限を過ぎるとお久に客をとらせるという条件で、長兵衛に五十両渡す。長兵衛が吾妻橋まで来ると若者が身投げをしようとしている。長兵衛が訳を聞くと、近江屋の手代の文七で水戸屋敷から集金の帰り、怪しげな男に突き当たられ五十両を奪われたという。押し問答の末、長兵衛は五十両を叩きつけるように文七に与えてしまう。文七が店へ帰ると、奪われたと思った金は水戸屋敷に置き忘れたことがわかる。翌朝、文七と近江屋が五十両を返しに来る。いったんやった金は今更受け取れないと長兵衛は言い張るが、しぶしぶ受け取る。近江屋が持参したお礼の酒の後に、お久が駕篭から出てくる。文七とお久は結ばれ、麹町貝坂に元結屋の店を開いた。
(http://homepage2.nifty.com/8tagarasu/bunnsitimottoi.htmlより転載)
あの昭和の大名人`古今亭志ん生`に最も近い噺家として人気があり、柳家喬と共に現役落語家の中で二大真打ちと呼ばれる、柳家権太楼の名演集シリーズ第11弾。「文七元結」を収録。 (C)RS
(Amazon商品の説明より転載)
圓朝まつりで権太楼師匠のサインをもらってきた「文七元結」のCDを聞いてみている。2009年12月5日の横浜にぎわい座での録音。この夏の盛りに「文七元結」って、季節はずれなのだけどでも圓朝作の「文七元結」を圓朝まつりで買ってきた!というのもいいではないか!って、今日は冬の噺である。
これは柳家の「文七元結」だ。私が慣れ親しんでいるところでは小満ん師匠の型と同じである。でもその仕上がりはというと完全に権太楼師匠のものになっていて、そこがまた魅力的!型の違いというのは…圓生師匠の録音とは設定が違っていて、三遊亭の「文七元結」とは、いろいろ印象が違うのである。何度聞いても素晴らしい噺だ。これだけ暑いと冬が待ち遠しい。
(http://tsukimura.cocolog-nifty.com/weblog/2012/08/post-88d2.htmlより転載)
■柳家権太楼 文七元結
先日の鈴本演芸場五月上席九日目で権太楼師の「文七元結」は聴いてゐる(その時の感想はこちら)。従つてどんないい噺も間を置かずに聞くとちよつとシラケてしまつた。それでも権太楼師の気合ひの入れ方は十二分で、出来としては悪くはなかつた。もちろん初めて聴くファン、久しぶりに聴くファンにはそれでも十分満足させる出来だつたらう。ただ今回の落語会では、喬太郎師まで滑稽話、爆笑物で進んできて、いきなり人情もの、それもシリアスで暗いバージョンの「文七元結」になつて、それまでの客席の雰囲気がガラツと変はつて静かになつてしまつた。それがいいことなのか、わるいことなのか、私には分からない。権太楼師にとつては今自信が一番あり、DVD収録といふ事情もあつてこの演目を選んだのであらうが、個人的には師の同じ十八番の「不動坊火焔」「井戸の茶碗」などを聴きたかつた気もする。
ウィキペディア
※「大山詣り」は収録されていません。
大山詣り(おおやままいり)
●毎年恒例の大山詣りに出掛ける前に、旅で暴れた奴は丸坊主にする約束をした。
山の帰りに神奈川の宿に着いてから、酔った勢いで風呂場で騒ぎが始まった。張本人の熊吉が寝ている間に丸坊主にして、蚊帳を被せておいた。翌朝、食事を済ませると、熊吉を残してみんなは江戸へ発ってしまった。
女中に起こされた熊吉は一計を案じた。
早駕籠を仕立てて、一足早く江戸に戻り、長屋のかみさん連中を集めて嘘の報告をした。みんなで船に乗ったら海で引っ繰り返り自分一人が浜に流れ着いて助かり、頭を丸めたと。
熊吉の坊主頭を見たかみさん連中はこれを真に受け、一人が井戸に身を投げようとするのを熊吉が止めて、供養のために尼になれと唆す。動揺したかみさん連中はこの言葉に促されて、次から次へと頭を剃ってしまった。
後から戻って来た連中は、自分の嚊が坊主にされたと怒り出したが、先達がまとめて、
お山は無事でみんなおケガなくておめでたい。
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-112.html より転載)
春風亭一之輔『大山詣り』 (19:53-20:34)
一度下がってから、再登場。マクラはタイに旅行して、ゴルフをした話。寺島しのぶ似のキャディとのやり取りをネタにして爆笑を誘った。「こんなマクラでいいんでしょうか」と言いながら、「昔の旅は・・・」とつなぐから、まったく無関係とも言えないが、約12分のマクラは少し長すぎたか。
ネタの方は、本寸法で結構だった。大山や、世界遺産になった富士山などを一緒にお詣りする仲間のことを「講」と言う。大山講、富士講など。
(http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-943.htmlより転載)
春風亭一之輔の大山詣り(おおやままいり)は少しポッポな語り口調は、いろいろな演者の中でもすきだなぁ!落ちはわかっていうのに演者が変わると新たな気持ちで聞ける。大山描写や出来事をもっと増やした新作の大山詣りができないかなっと思っています。
(http://hinataneko.blogspot.jp/2012/06/blog-post_24.htmlより転載)
■春風亭一之輔 大山詣り
一之輔さんの見所聴き所満載の高座。最初のほうの熊五郎の大山に連れて行けと拝みだおす、次郎吉が熊五郎との喧嘩の件を話す、次郎吉らが熊五郎の頭を坊主にする、坊主にされた熊五郎が長屋に帰ってきて長屋の連中が嵐にあって舟で遭難をしたと大ボラを吹く、すべての語り口が圧倒的。特に熊五郎の頭を坊主にする場面。カミソリで頭を丸める仕草には思わず見入ってしまった。後半長屋の連中が舟に乗って遭難したことを語るところでは、熊五郎一人が浜に打ち上げられて助かり、長屋に帰ってきた彼がかみさん連中をみんな坊主にさせて百万遍をやっているというヴァージョン。この方が熊五郎の逆襲が際立って良かった。
(http://baikunan2.seesaa.net/article/116960485.htmlより転載)
ウィキペディア
※「代脈」は収録されていません。
代脈(だいみゃく)
●医者の内弟子の銀杏が大先生の代脈(代理往診)として蔵前の商家のお嬢さんの診察をすることになった。
初めての代脈なので行く前に、先方に着いてからの挨拶、お茶の飲み方、羊羹の食べ方、診察などの手ほどきを受ける。
診察に当たっては、安心させるだけでよい、余計なことはするな。特にお嬢さんのお腹のシコリに触ると放屁をなさるので絶対にシコリには触れぬようにと。前回は耳が遠くて、聞こえない振りをして切り抜けたものだと大先生の説明。
初めて乗る籠の中で銀杏は大騒ぎ、なんとか商家に着いて、教わった通りにお茶を飲みながら羊羹を食べ、いよいよ診察へ。
診察中に、例のお腹のシコリを見つけて、止せばいいのにそこを押したからたまらず、お嬢さんは「ブッ!」と放屁。
銀杏は驚いて「歳のせいか近頃耳が遠くなって、今の屁の音も聞こえなかった」
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-30.html より転載)
一之輔の1席目「代脈」、しばしば寄席にもかかるが、アタシにはどうもこのネタの面白さが分からない。面白かったのは志ん朝の高座だけ。医者の弟子である銀南を与太郎風に演じるケースが多いのだが、そんな人間をわざわざ代脈に遣わせる医者の心境が分からない。志ん朝のように程々の愚か者(これからの修行で使い物にになるかも知れない程度の)という描き方でないと説得力がない。
一之輔の演出では銀南が羊羹の薀蓄をたれる場面に力点を置いていたが、成功したとは言い難い。
(http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/j20131220-00c2.htmlより転載)
一之輔。今席、新宿と池袋に顔付けされているが、わたしが行った日にはどちらも休演だった・・・ようやく会えたね。
「代脈」。久々。真打披露の浅草で聞いて以来。ここのところ、小辰さんで聞くことが多かったが、若先生・銀南の、羊羹への執着は、こちらが元祖か?
(http://rakukyotabi.seesaa.net/より転載)
ウィキペディア
※「長屋の花見」は収録されていません。
長屋の花見(ながやのはなみ)
●家主が呼んでいるというので、長屋の連中が店賃の催促かとびくびくしながら集まった。
大家が酒肴を用意したので、皆で花見に行こう、という結構な話だったが、よく聞いてみると、酒は番茶の出がらし、卵焼きは沢庵漬け、蒲鉾は大根の香香を半月に切ったものだ。
毛氈に見立てた筵をかついで、向島方面に出掛けて宴会を始めたが、盛り上がらない。
卵焼きの尻尾じゃない所を取ってくれ、蒲鉾は葉っぱの方が旨い、酒柱が立ったから良いことがあると、言っていることが目茶苦茶。
本物の酒を飲みたいから、喧嘩騒ぎで人を追い払い、残していった酒を掻っ払ってこようと、月番の二人が大喧嘩の真似を始める。
近くで茣蓙を広げていた連中が、喧嘩に巻き込まれちゃ敵わないと避難した。誰もいなくなった茣蓙から酒を二本持って来て飲み始めた所へ男が一人取り返しに来るが、落ちている物を拾っただけだと逆襲に合い、「お代わりをお持ちしました」
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-76.html より転載)
春風亭一之輔『長屋の花見』 (19:07-19:32)
…本編は、適度にこの人ならではなおクスグリを挟みながらの、楽しい高座。たとえば、本物の酒、玉子焼き、蒲鉾と思ってうれし涙を流す長屋の仲間に向かって、その実態がお茶、沢庵、大根こうこと分かり、「おい、涙を無駄にするな」という科白などに、センスの良さを感じる。基本は本寸法、そこに彼ならではの今日風の味付けをする工夫、それが「また聞いてみよう」と思わせる魅力でもある。
(http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-670.htmlより転載)
二席目の長屋の花見に一之輔師匠の真骨頂が見られた。
2012年8月に刊行された『一之輔、高座に粗忽の釘を打つ』という初の書籍に出ていた言葉だが、高校で同級生と二人で落語研究会を始めたという。その同級生の前で落語を喋るというのが原点で、大学もご多分に漏れず落研に所属し、ワイワイガヤガヤとやっていたそうだ。
そのノリが『部室落語』という言葉で表現されていて、なるほど長屋の花見は、オリジナルのくすぐりを鏤めながら全編、やいのやいのとお賑やかに噺が転がって行く。
小三治師匠がいう登場人物が蠢いていて、爆笑編だった
(http://ameblo.jp/donta08848/entry-11787405410.htmlより転載)
ウィキペディア