近江八景(おうみはっけい)
●八五郎が家にいると、兄弟分である建具屋の半次が血相を変えて飛び込んできた。
「訊きたい事があるんだよ」
何だろうと思っていると、半次の質問は三浦屋の月の輪という花魁の噂。
その女とは、『年季が明ければ夫婦になる』と口約束はしてあるものの、なんせ相手は女郎、本当の気持ちは如何なのか気になって仕方がないのだ。
そこで、情報通の八五郎に、女の様子を尋ねにきたという訳。話を聞いた八五郎は、真剣な顔でこう言った。
「いるよ。新しい男が」
その男は《色白で髪黒々と、目がぱっちりとして男振りもよく、背が高くもなく低くもなく》…という、ライバルとしては最悪の色男。
しかも、月の輪は目下この男に血道をあげており、夫婦約束まで取り交わしているという。
「お前のツラじゃなあ、女の血道は上がらないわな。あばら骨で止まるね」
八五郎にまで言われ放題の半次。口では『男は顔じゃねえ』と強がってみても、やっぱり気になってしまい、女の本心を横丁の占いの名人に見立ててもらうことにした。
「女との仲を見てもらいたい? どれどれ…」
先生、おもむろに算木筮竹(ぜいちく)をチャラチャラ…。
「出ました。易は沢火革。革は改めるということだから、来年の春には女が来ます」
半次は大喜び。しかし、この易にはまだ続きが有った。
「ただし、沢火革を変更すると水火既済となります。つまり、来るには来ても、結局の所は逃げられてしまいます。諦めた方が得策でしょう」
先生にまで『別れろ』といわれ、とうとう半次の堪忍袋の緒がブチ切れた。
「冗談言っちゃいけねぇや。花魁は俺にぞっこん惚れ込んでいるんだ。てめえ、八卦見だってんなら、近江八景で見てくれ。さもなきゃ道具をたたっこわすぞ!」
物凄い勢いでまくし立て、女から来た恋文を突きつける。
【恋しき君の面影を、しばしがほども三井もせず、文も矢橋の通ひ路に、心堅田の雁ならで、われ唐崎の袖の雨、濡れて乾かぬ比良の雪、瀬田の夕べとうち解けて、堅き心も石山の、月も隠るる恋の闇、粟津に暮らすわが思ひ、不愍と察しあるならば、また来る春に近江路や、八つの景色に戯れて、書き送る、かしく】
半次は自慢そうに、「どうです、花魁はあっしに惚れてましょ?」
ところが、易者は「そうじゃぁない」と言い出した。
「この文から判断をすると、女が顔に比良の暮雪ほどお白粉を付けているのを、おまえは一目三井寺より、わがものにしようと心は矢橋にはやるゆえ、滋賀唐崎の夜雨と惚れかかっても、先の女が夜の月。文の便りも堅田より、気がそわそわと浮御堂、根が道落雁の強い女だから、どうせ瀬田が唐橋だ。これは粟津に晴嵐がよかろう…帰るなら見料を、おアシを置いておいで」
「何を言ってやがんだ! 近江八景に膳所はねえ」
…オチとなる「膳所」は、銭の幼児語である『ゼゼ』掛けてあるわけで、近江八景に膳所(現・滋賀県大津市)が入っていないので、このオチが成立する。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%85%AB%E6%99%AF_(%E8%90%BD%E8%AA%9E)より転載)
東京では、明治の四代目春風亭柳枝が手掛け、移植したのはこの人では、とも見られますが、不明です。
次いで古いところでは、六代目林家正蔵(今西の正蔵、1929年没)の、おそらく大正初期の吹き込みによるレコードが残されていますが、これは珍品、骨董品の部類。
昭和以後では、六代目三遊亭円生が得意にし、「円生百席」にも録音している通り、いかにも円生好みの粋できれいな噺です。三代目三遊亭金馬、五代目三升家小勝もたまに演じ、金馬のレコードもありますが、あまりに風流すぎ、今では手を出す人はいないでしょう。
(http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2006/06/post_0bb6.htmlより転載)
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