つるつる(つるつる)
●一八は、芸者のお梅という女性に、3年も4年も惚れ続けています。
もうこれ以上片想いもしていられなくなって、なんだか遠回りに、わかりやすく照れ隠ししながら“プロポーズ”。
そうしたら、意外にもお梅は「女房になっていいよ」と返事をする。「『愛』や『恋』じゃなくて、私はお前さんという『人間』が好きなんだよ」というお梅のセリフが、これまた泣かせるじゃありませんか!ただし、この“婚約”には一つ条件があって、「今晩、深夜2時に必ず迎えに来ておくれ。仮に1分でも遅れたら、この話はなかったことでよろしく」。
「大丈夫ですよ、必ず深夜2時に伺いますよ!」と応じ、有頂天でお梅の部屋を出ていく一八。しかし、将来を喜びながら道を歩いていると、偶然、ご贔屓の大将に「今晩、酒に付き合え!」と声をかけられてしまい……。
…談志師匠は、「たまには一八を幸せにしてやってもいいじゃねえか」と考え、この『つるつる』という噺に独自の解釈を織り込みました。
そのため、サゲ……というより、結末そのものが大幅に変更されています。
…「古典落語の完成形」とでも称すべき“文楽落語”と比較すると、談志版『つるつる』(2006年)は、途中、言葉がつっかえるし、淀みない語り口でもないし、「上手いッ!緻密なる名人芸ッ!」と評されるような高座ではありません。
しかし、私は、家元演ずるこの一八が愛しくてたまらず、“やさしさ”の演出一点をもって、個人的に文楽版『つるつる』よりも談志版『つるつる』を好むのです。
(http://mitsuyoshiwatanabe.seesaa.net/article/303050286.htmlより転載)
「つるつる」。本来ならばしくじるはずのたいこもちの一八の恋が成就するというバージョンで、初めて聴く私も談志のエッセイなどでその存在を知っていた。談志の長いファンならば懐かしいものだろう。今日の高座は、たっぷり、というより、ゆっくり。ひとつひとつのシーンにメリハリがつかない。
談志はさまざまな噺の再解釈、再々解釈に挑み続けてきた。「つるつる」の一八良かったねバージョンは、そのなかでは、他愛のないものかもしれない。しかし、その刹那刹那をワーッと囃してやり過ごすしかない渡世のなかで、ふと頼ってみたいと動いた心、それをあわれと思い、切実なものとも感じる演者の気持ちが、そこにある。すべてを知った旦那が、一八に「みんな集めて、俺が謝ろう」とお梅との仲を取り持つ一言こそ、一八が生きた“夢”なのかもしれない。
(http://homepage2.nifty.com/Curious-G/starthp/subpage80163.htmlより転載)