寝床(ねどこ)
●旦那が趣味の義太夫を語る会の準備を始めた。飲める人には酒と肴を、飲めない人にはお茶と羊羹を揃えて、座席の用意をさせる。
さて当日になって、何人集まるか番頭に聞くと、やれ無尽だお産だと誰も来ない。すっかり臍を曲げた旦那は「もう義太夫は語らない、その代わり長屋の住人は店を空けろ、店の者には暇を出すからみんな出て行け」と。
こりゃ困ったと知恵者が音頭を取って、旦那をなだめにかかる。「どうしても旦那さんの語りを聞きたい」とおだてられ、最初は渋っていた旦那が機嫌を直して会が始まった。
しばらくしたら客は次々と寝てしまった。これに気が付いた旦那は怒り出したが、小僧の定吉が一人だけ泣いている。
「おお、お前さんは義太夫が分かるんだね、どこが悲しかった、馬方三吉子別れかね」
「そんなとこじゃねぇ、あそこだ」「あそこは、私が義太夫を語った床じゃないか」
「わたくしの、あそこが寝床でござんす」
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-52.html より転載)
六代目圓生の「寝床」は人物の描き分けが細かい。しっかりと各人物のイメージが定着され、その人物がぴたりとはまった役柄を演じていく。本当は来たくないのだがやむを得ず顔を出した鳶の頭は、徹頭徹尾がさつな人間として描かれる。奉公人の一人はこれまた旦那の芸につき合わされてほとほとうんざりしてる人物として造型される。どの登場人物も輪郭がくっきりし、旦那の姿にしても救い難いほどの自己中心性が鮮明に浮き彫りとなるよう描かれる。人物設定にあいまいさがないので、誰の科白なのか明瞭である。
(http://k-manabiya.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-ff1d.htmlより転載)