文七元結(ぶんしちもっとい)
●本所達磨横町の左官の長兵衛は腕はいいが、博打にこり家は貧乏だ。
娘のお久が吉原の佐野槌に自分の身を売って急場をしのぎたいと駆け込む。
返済期限を過ぎるとお久に客をとらせるという条件で、長兵衛に五十両渡す。
長兵衛が吾妻橋まで来ると若者が身投げをしようとしている。
長兵衛が訳を聞くと、近江屋の手代の文七で水戸屋敷から集金の帰り、怪しげな男に突き当たられ五十両を奪われたという。
押し問答の末、長兵衛は五十両を叩きつけるように文七に与えてしまう。
文七が店へ帰ると、奪われたと思った金は水戸屋敷に置き忘れたことがわかる。
翌朝、文七と近江屋が五十両を返しに来る。
いったんやった金は今更受け取れないと長兵衛は言い張るが、しぶしぶ受け取る。
近江屋が持参したお礼の酒の後に、お久が駕篭から出てくる。
文七とお久は結ばれ、麹町貝坂に元結屋の店を開いた。
(http://homepage2.nifty.com/8tagarasu/bunnsitimottoi.htmlより転載)
人情噺「文七元結」 (ぶんしち もっとい)、三遊亭円朝の佳作。この噺の内容は良く出来ていますので、大師匠の高座はみな感動ものです。志ん生、円生、彦六、志ん朝、今更私ごときが言うまでもなく、それぞれに秀逸で感動ものです。
中でも、私が一番感動したのは、まだ柳家小さんと談志が仲違いをする前に開かれた”親子会”(すなわち小さん、談志の二人会)での談志の文七元結。師匠の小さんは力みが無く、相手を立てる余裕と、それなりの良さがありましたが、談志の師匠なんてナンダという、若さと力と迫力があった。ナミダと笑いとで顔がくしゃくしゃになって感動していたのを今でも鮮烈に思い起こす事が出来ます(それ以来、出来が悪い時や来ない時があっても、談志フアンです。ははは)。その時の”音”は残ってはいないのでしょうね。
(http://ginjo.fc2web.com/54bunsiti_mottoi/bunsitimottoi.htmより転載)
常日頃ふてぶてしいまでのあの自信家が苦しそうな表情で高座に上がった。
省くところはバッサリと削り肝心要のところはじっくりと語った。
その結果、尺は比較的短くなった。
語り終えた後、なかなか高座を降りない。
一見申し訳なさそうにも見える表情でお辞儀を何度も繰り返しながら、正面を見て右を見て左を見て後の方も見ながら聴衆の反応を確かめている。
その所作からは、「どうだ!」という気負いは感じられない。
談志版「文七元結」を語った立川談志は、大した噺家だと改めて思う。
(http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=178482より転載)