文七元結(ぶんしちもっとい)
●左官の長兵衛は、腕は立つのだが、無類のばくち好きが高じて、仕事もせずに借金を抱えている。年の瀬も押し迫るある日、前夜の負けがこんで、身ぐるみ剥がれて半纏一枚で賭場から帰されると、女房のお兼が泣いている。聞くと、娘のお久がいなくなったという。どうしたのかと、夫婦喧嘩をしているところに、普段より世話になっている吉原の女郎屋の大店、角海老から使いのものがくる。取り込み中だから後にしてくれというと、他でもない、その娘のお久のこと、角海老の女将の所に身を寄せている。
女房の着物を一枚羽織って角海老へ行ってみると、お久は、身売りをして金を工面し、父に改心してもらいたいので、お角のところへ頼み込んだのだという。女将は、自身の身の回りをさせるだけで店には出さないから、次の大晦日までに金を貸してやるが、大晦日を一日でも過ぎたら、女郎として店に出すという約束で、長兵衛に五十両の金を渡す。
情けない思い、しかし改心しきった長兵衛が、帰り道に吾妻橋にさしかかると、身投げをしようとしている男にでくわす。訳を聞くと、白銀町の鼈甲問屋「近江屋」の奉公人(文七)で、お遣いに頼まれ、取りにいった売り上げをすられたので、死んでお詫びをしようというところだった。死んでお詫びを、いや、死なせねぇと押し問答が続いた後、長兵衛は、自分の娘のお久が身を売って五十両を工面してくれたことをはなし、その金でお前の命が助かるのなら、娘は死ぬわけではないのでと、無理矢理五十両を押し付けて、逃げるように帰ってゆく。
文七がおそるおそる主人卯兵衛の元に帰り、長兵衛からもらった金を差し出すと、それはおかしい、お前が遣いにいった先で碁に熱中するあまり、売り上げをそっくりそのまま忘れてきてしまったものを、先方は既に届けてくれて金はここにある、一体どこから、また別の五十両が現れたのかと、主人が問いただすと、文七はことの顛末を、慌てて白状する。
翌日、卯兵衛は何やら段取りを済ませ、文七をお供に長兵衛の長屋へと赴く。実は文七が粗相をやらかし…と、事の次第を説明し、五十両を長兵衛に返そうとするが、長兵衛は、江戸っ子が一度出したものを受け取れるか!と受け取らない。もめた挙句に長兵衛ようやく受け取り、またこれがご縁ですので文七を養子に、近江屋とも親戚付き合いをと、祝いの盃を交わし、肴をと、表から呼び入れたのが、近江屋が身請けをしたお久。後に、文七とお久が夫婦になり、近江屋から暖簾を分けてもらい、元結いの店を開いたという。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E4%B8%83%E5%85%83%E7%B5%90より転載)
「文七元結」を最初に聴いたのは、紀伊国屋ホール。平成2年と思う。星の王子様と言っていた圓楽師匠の名演であった。こんな人情話があるなんて。長兵衛の50両の物語。元結とは、日本髪をしばる紐?噺をどきどきしながら聴いた。これは江戸の落語かな。
(http://kotengeinou.blogspot.com/2011/05/blog-post_22.htmlより転載)
1974年から2008年まで東京・イイノホール「にっかん飛切落語会」の膨大な音源ライブラリーより、大師匠五代目三遊亭円楽の名席のみを選りすぐり編成した豪華CDシリーズが遂に発売!
『にっかん飛切落語会』
「若手のための落語会を是非やりたい」と言う三遊亭円楽の強い要請に日刊スポーツ新聞社が応じ、昭和49年 (1974)7月30日に産声を上げた。当時の落語界の中でも格式の高い人気ホールだった「イイノホール」(東京・霞ヶ関)で開催され、2008年、34年の歴史をホールの閉館とともに幕を閉じました。
“にっかん飛切”は戦後落語界の大御所の珠玉の高座から、現在活躍中の名人の二つ目時代からの成長の様子など、資料的な価値が高く高音質で録音された膨大な音源を保有しており、今回のCDシリーズは、その日刊スポーツ新聞社が保有している貴重な落語音源を10枚のCDとして商品化し、初蔵出し音源で構成しました。落語ファン待望の豪華珠玉の永久保存版です!
【収録内容】
01:文七元結
(http://www.lohas-plaza.com/goods/PCCG-01087.htmより転載)