粗忽長屋(そこつながや)
●朝から夫婦喧嘩しやがって。おらぁ独り者だ。だって、このかかぁ出てけって言ったろ。
赤犬が入って来たから、このあかぁ出てけって言ったんだ。そんな犬はぶっ殺して熊の胆を取るんだ。犬から熊の胆が取れるか、ありゃあ鹿だ。こんな調子のそそっかしい奴ばかりが集まっている長屋があった。
長屋の住人が観音様にお参りすると、浅草雷門のところで人だかりができている。股ぐらをくぐって前に出ると、行き倒れだ。筵を捲ってみると今朝会ったばかりの弟分だった。
慌て者だから、自分が倒れていることに気が付かねぇんだ、本人を連れて来るから待ってくれと現場の役人に告げて長屋に戻った。
本人に行き倒れの事情を話すと俺は生きていると反論するが、馬鹿だな死んでるのに気がつかねぇのか、とにかく一緒に来い。
現場に行って、ここで倒れてるのが俺なのかい。死んでるのが俺だってのは分かったが、それを抱いているのはいったい誰だろう。
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-80.html より転載)
「粗忽長屋」は、「主観長屋」にしてしまう。テーマを”粗忽”ではなく”主観”にしてしまう。思い込みの凄さ。結局世の中、主観じゃないのかって。落語家という存在は自分の業をさらしてやっているのだとも。そういう談志から見ると今の落語ブームは”悪貨が良貨を駆逐しているように”見えるのだそうだ。
(http://pinhukuro.exblog.jp/565497/ より転載)
談志師匠のおっかけです。
家元の「粗忽長屋」はご自身で「主観長屋」とおっしゃっているくらい、談志カラーの強い脚色がされていて、私も初めて聴いた時は結構カルチャーショックを受けました。
あれだけの落語を凌駕するような噺家さんは、まずいませんね。
(http://www.mag2qa.com/qa6625680.html より転載)
YouTubeにて