ブログ 引っ越しました!
落語一日一席 古今亭志ん朝(三代目)ブログ 引っ越しました!
落語一日一席 古今亭志ん朝(三代目)ブログ 引っ越しました!
佃祭り (つくだまつり)
●神田お玉ヶ池で小間物屋を営む次郎兵衛さん。佃祭に出かけた帰り、暮れ六つの仕舞舟に乗りこもうとしたところを、女にむりやり止められて、舟に乗りそこなってしまった。
聞けば、その女は三年前、奉公先の主人の金を無くしてしまったので、本所一ッ目の橋から身投げをしようとしているところを、次郎兵衛に助けられ、三両の金を恵んでもらったという。次郎兵衛はすっかり忘れていたが、話を聞くうちに思い出した。
是非亭主に会ってほしいというので、女のうちへ行き、待つあいだ酒をご馳走になる。そこへ亭主が大慌てで帰ってきた。仕舞舟が沈んで、渡船場は死骸の山だという。命拾いをした次郎兵衛は、騒ぎがおさまるまで時間をつないでから、亭主に送ってもらって家へ帰った。
一方、次郎兵衛の家では仕舞舟が沈んだという噂を聞いて、次郎兵衛が死んだものと思い込んでしまう。気の早い長屋の衆は早々に弔いの準備を済ませ、坊さんを呼んでお経を上げてもらっているところへ、ふらっと次郎兵衛が帰って来た。長屋の衆は、坊さんに申し訳ない、他に葬いないかしら・・・。坊さんは、いやいや宜しい。『情けは人の為ならず』ですぞ、目出度い事じゃ。
身投げを助けさえすれば、自分も危うい時に助けてもらえると信じた与太郎は、金を懐に身投げ女を探して歩く。永代橋の上でやっとそれらしい涙を流している女を見つけて、止めに入ると・・・
『歯が痛くて、戸隠様に願を掛けているのです』
『でも、袂に石が入ってらぁ』
『これは納める梨です』
(http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/61631021.html より転載)
話の展開が、多岐にわたり、登場人物も多いので、声色を変えて演じる金馬師匠の口演は、非常に分かりやすい。志ん生師匠は、細かな点の描写ははしょって大づかみに演じているが、分かりやすさの点では、金馬師匠に一歩譲らざるをえないのではなかろうか?
(http://blogs.yahoo.co.jp/cavan_club1954/53892935.html より転載)
CDマガジン「昭和の名人」にて
佃祭り (つくだまつり)
●神田お玉ケ池の次郎兵衛が、佃島の住吉様の祭りに出掛け、暮れ六つの終い船で帰ろうとした時、女に呼止められ、乗り損なった。
女の話を聞けば、三年前に吾妻橋で身投げをしようとした時に、五両の大金をくれて助けてくれた旦那でしょうと。そういえばと思い出した。船頭をしている夫が戻ってくると、さっきの終い船が沈んで船場は死人の山だという。一旦はあの船に乗ったが、女将さんに止められ命を救われた。これで五分です。
夜遅く船場の騒ぎが収まってから自宅まで送ってもらうと、玄関には忌中の張り紙。留守中に誰が死んだと問えば、次郎兵衛さん迷わず成仏してくれ。終い船が沈んで全員死亡との知らせで家人が早とちりしたものだった。
身投げの人を助ければ良いことがあると思い込んだ与太郎が身投げ探しを始めた。永代橋の上で身投げしそうな女をみつけて止めるのだが、戸隠様を拝んでいただけだ。いや、袂に石を入れてる。これはお供えの梨です。
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-51.html より転載)
権太楼師の噺には他の噺家さんなら登場する人物が居ません!その辺もお聞き下さい。
(ニコニコ動画 説明文より転載)
権太楼『佃祭』(20:50-21:18)
なぜこの噺だったかは、徳川家康がかつて恩義のある摂津国佃村の人たちを、江戸への転封の際に移住して もらった、という佃島の由来における上方(大阪)つながりか。短いマクラから本編へ。次郎兵衛さんが暮れ六つのしまい船に乗ろうとするところから始まっ た。短い時間でも、さすがである。佃島の夫婦とのやりとりの泣かせのシーン、そして悔やみの爆笑シーン、メリハリの利いた芸できっちり締めた。特に海苔屋 の婆さんが悔やみで言う「壷買いませんか、安くしますよ」には大笑い。
(http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/?mode=m&no=66 より転載)
ニコニコ動画にて