芝浜(しばはま)
●あるところに有能な魚屋さんがおりました。彼が魚河岸で選んでくる魚は新鮮で評判良かったのですが、あいにく彼は、なるべくなら働きたくない人でした。そんな彼が、浜辺を歩いていると、財布を拾います。中には42両もの大金が。家に飛んで帰って、奥さんに報告し、ほっとしたのとお金があるという安心感から、お酒を飲んで寝てしまいます。
翌朝目がさめると、奥さんがいつものように「働きに行け」と言います。なにいってんだい、昨日、42両のお金を拾ったじゃないか。あれがあればしばらく寝て暮らせると男が言うと、奥さんはあきれた顔をして、
「寝ぼけたことを言ってんじゃないよ。情けないねぇ。いくら貧乏だからって、そんな夢を見るなんて。お前さん、しっかりしとくれよ。あたしは、貧乏が嫌だって言うんじゃない。そりゃ、お金があるにこしたことないけど、あんたがちゃんと働いて、それで稼いできたお金があれば十分だと思っている。なにしろ、あんたの目利きは確かだからね。ちょっとその気になれば、2人が生活するぐらいの稼ぎはなんでもないんだろ。それとも、腕はさびついたのかい」
などと言われて、男は心を入れ替え、大好きな酒も断ち、仕事に精を出すようになります。そうすると、元々腕はいいわけですから、3年も経つと、小さいながらも表通りに店を構えるようになり、若い者の2、3人も使うまでになります。
その3年目の大晦日。
奥さんが、改まった顔をして古い財布を男の前に差し出します。
「お前さん、この財布に見覚えがあるでしょう。中には42両入っています。3年前、あんたが芝の浜で拾ってきたときには、弱ったことになったなぁ、あんたのことだから、こんなにお金があったら、明日から働かないだろうなと思っていたら、あんたがお酒を飲んで寝てくれたので、とにかくお奉行所にお金を届けて、お前さんには夢だ夢だで押し付けたら、あんたは人がいいから、すんなり信じてくれて、好きなお酒もやめて一生懸命働いてくれるようになって……。このお金もずいぶん前に落とし主がいないからといって、奉行所から戻ってきたんだけど、せっかくお前さんが真面目に働くようになったのに、こんなものを見せて、またお酒でも飲まれたらと、心を鬼にして今日まで黙っていました。幸い、お店も順調で、もうお前さんがお酒を飲んで少しぐらい怠けても、お得意さんに迷惑をかけることもないだろうし、そう思ってこのお金を見せて、今まであんたに嘘をついていたことをお詫びして……。腹が立つだろうねぇ。今まで連れ添う女房に嘘をつかれて……。今日は、あたしは覚悟を決めてますから、あんたが気にすむように、殴るなりなんなりしてください」
こう言われて、殴るようじゃ、男じゃありませんね。夫は、妻に感謝します。気分直しにと、妻は夫にお酒を差し出します。3年ぶりのお酒。男は嬉しそうに杯を口元まで運びますが、
「やめとこう。また夢になるといけない」
(http://homepage3.nifty.com/~tomikura/rakugo/s.html#SHIBAHAMA より転載)
彼の持ち味がにじみ出てくる。どのカセットやCDのシリーズにも、「三木助といえばこれ」ということで必ずあるから、いろんなときのいろんな寄席でのライブ録音を楽しむことができる。それぞれの録音で少しずつマクラや言い回しを変えている。しかし、どれをとってもこの出し物だけはたっぷり聞かせてくれる。失望させない。
芝浜のそのあしたから早く起き
三木助がよく色紙などに書いた句だそうである。
(http://chukonen.com/kobanashi/9212sibahama/ebk02x.html より転載)
元々が三題噺から始まり、音曲師の演じる噺だったそうだから、サゲの良さだけを変われて気楽に演じられてきたのだろう。圓生師など、「初代の圓右師匠は、僅か12~3分で『芝浜』を演っていた」と、その著作に書かれていた筈である。
しかし、それを立派な大ネタ、主任ネタにしたのは、やはり三代目三木助師の功績である。どんなに文学的過ぎると言われても、初演当時の時代性や「落語」の社会的な扱われ方を考えれば仕方ない面もある。結果的に、賛否両論を呼んだことを含めて、ここまで論じられるネタにしたのは、三木助師一代の力ではあるまいか。
戦後の東京落語界で、演者一代で大ネタにグレードアップしたり、一寸他の演者や若手が手の出しにくい大ネタに変わった噺が幾つあるだろう。『芝浜』の他は、私が思うに、圓生師の『包丁』と、志ん生師の『お直し』『火焔太鼓』くらいではないだろうか。談志家元にも志ん朝師にも、そういう一代で作り上げたネタがあるだろうか?
私も『竃幽霊』や『宿屋の仇討』の方が、三木助師のネタとしてはレベルが上だとは思うけれど、『芝浜』以上の存在感を落語界に提示したネタはない。
歴史的にみて、やはり、「三木助芝浜、恐るべし」なのである。
(http://www.joqr.net/blog/rakugonokura/archives/2007/11/post_77.html より転載)
CDにて
芝浜(しばはま)
●毎日飲んだくれて仕事に行かない魚屋に女房が小言をたれる。明日から商いに出るから今夜を最後にたらふく飲ませろと、飲んだ翌朝、女房に起こされて、渋々商いに出かけた。
芝浜で日の出を眺めて一息付いていると皮袋の財布を見つけた、覗くと大金が入っている。慌てて家に戻り数えてみると四十二両、こんだけの金がありゃ稼ぐことぁねえ、酒だ酒だと飲み明かす。
翌朝目を覚ますと、女房が商いに行けとせっつく。あの金はどうした? と聞くがそんな物は知らない。納得出来ないが、夢でも見たかと心を入れ替えて真面目に働き、三年後には店を構え、使用人を雇うまでになった。
年も暮れて一息ついて女房が語りかけた。三年前の財布は夢じゃなかったんだ、あたしが隠しておいた。ここまでりっぱになったのはあんたの稼ぎのおかげ、もう大丈夫、さあ一杯おやりよ。
「いやよそう、また夢になるといけねえ」
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-31.html より転載)
この日の「芝浜」は、後日(同年12/21)立川談志自身が、『先日の「芝浜」は不思議なくらい旨く出来た。』『あれは神様がやらせてくれた最後の噺だったのかも知れない』と、語ったほどの「真迫の芝浜」だった。
・・・この日の「芝浜」を、生で聞けなかった談志ファンの方々は、ほんとに残念だったね。
2007年12月18日の談志の「芝浜」は、談志の生涯に残るような「鬼気迫るような芝浜」だったと思うぜ。人間覚悟が決まると、使う「一期一会」の言葉も意味がグッと深まるもんだが、この時に「一期一会」とは談志も良く言ったもんだ。
家 元が一所懸命なので、こちとらも真剣で言わなきゃなんねぇ訳さ。俺がくどくどと書いたのも、つまりは「命を惜しむより、名を惜しむ時期では?」と言いたい のさ。だけれど、家元の「大きなお世話だ。命や名を惜しむより先に、芸に狂ってるんじゃねぇか!」と言うダミ声が撥ね返ってきそうである。
(http://labdakidai.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/20071218_f913.html より転載)
MXテレビで談志の特集番組を見た。
去年の大晦日、同じくMXテレビで談志が「芝浜」を演るという噂で日本国中が騒然となったことは記憶に新しいだろう。
「談志が芝浜を演る」
これほど人の脈拍を早め、気持を急き立てる台詞があるだろうか。
チケットの取りにくい独演会に足を運ぶことなく、大晦日、酒を飲みながら談志の「芝浜」を聞くなどという贅沢が今の日本で許されるはずもなく、結局談志は「芝浜」を演らなかったわけだが。
聞いたことがない人に「談志の芝浜」とは何かを説明するのは難しい。
暖房が効いているはずの夜の劇場で、夜明けの寒さに思わず肩をすくめた経験は言葉では説明できないことのひとつだろう。
(http://www.kanshin.com/keyword/409486 より転載)
ニコニコ動画にて
ブログ 引っ越しました!
落語一日一席 古今亭志ん朝(三代目)シャブ浜(しゃぶはま)
私が立川談笑の「シャブ浜」を聴いたのは、iPodでだった。年の暮れが差し迫る真冬の環七だった。自転車をビュンビュン走らせる私の顔面は冷たい風で凍てついていた。しかし「シャブ浜」のクライマックスにさしかかる頃には、凍った顔面はあふれる熱い涙(&鼻水)でじゅわわ~~ん…と湯気をたてて溶かされていた。自転車をこぐ足を止めて、腕組みして聴き入った。
談笑が語り込む「シャブ浜」とは覚醒剤にからめとられた人間が人でなしとなり禍々しい恐怖のどん底まで堕ちながらも、だがしかしその地獄から這い上がってやがて蘇生する物語だった。
人が生き抜くために最終的に必要なものは何か。
人が生き抜くために糧とする「誇り」とはどういうものなのか。
(http://d.hatena.ne.jp/Carubo/20090808/p1 より転載)
談笑師匠が家元から二度と高座にかけないようにと注意されたシャブ浜が
何故かニコニコに流出していた。
注意された事実は、ツイッター経由で談笑師匠から直接お伺いした。
あの人情話の傑作、芝浜の主人公が魚屋ではなく、シャブ中毒のトラック運転手というところから始まる。
(http://blog.livedoor.jp/kichidens/archives/1430419.html より転載)
古典落語の人情話「芝浜」を現代に置き換えた改作。
芝浜は酒で身を滅ぼし立ち直る話だが、これはタイトル通り「シャブ」が主題。
確かに、ビンビンと危険感が漂い、芝浜なんて悠長な昔話にしか聞こえなくなる。
しかし、これほどまでにキツイ話にする必要があるのだろうか。
人情話の語り口は談志一門ならではの気合いのこもった情感。
この辺があるから許されるが、談笑が談志の弟子でなかったらいったいどうなっていたのやら。
ただの悪ふざけにしかならないかもしれない。
(http://12191.diarynote.jp/201107252022451700/ より転載)
ども。御家元より「『シャブ浜』禁演」のお達しを頂きました立川談笑です。つきましては、噺塚に奉納するつもりです。ライブの告知は、いずれまた
ニコニコ動画にて