初天神(はつてんじん)
●初天神にお詣りに行くからと、羽織を出させて出かけようとするところに、金坊が帰ってくる。金坊はどこかに連れ出すと、必ず「あれ買え、これ買え」と、うるさいので連れていきたくないと言うが、金坊は男の約束だからと言い、女房は連れていけというので、やむをえず連れ出す。
道々、金坊は親をやりこめるような生意気をさんざん言いながら歩いていくと、境内も近づき屋台も増えてくる。「お父さん、買ってくれと今まで言わなかったから・・・、ご褒美だから・・・、何か買ってくれ」と、せがみ出す。「蜜柑は酸っぱいから毒だ、林檎も酸っぱいから毒だ、柿は冷えるから毒だ、バナナは高いから毒だ。」と、やり過ごす。
続けて「飴を買ってくれ」とせがみだす。飴屋は無いというと、後ろにあると言い、根負けして買うことにする。舐めながら歩いていくと、水溜まりがあるからと背中をたたくと、泣き出して飴は落としたという。腹の中に。だから、団子を買ってくれと言う。泣きながら大声で迫るので、いやいや密付きの団子を買う。
蜜の付いたのは着物を汚すので、密をみんな舐めると金坊はそんなの嫌だと言いだし、密壺に舐めた団子をジャボン。金坊もまた舐めて、その団子をまたドボン。
食べ終わった金坊、今度は凧を買えと凄む。「だから連れて来たくなかったんダ」。 金坊は看板ものの大凧を買えと言うので根負けして、帰りの一杯の楽しみの銭で、糸まで付けて買い込む。親子で凧揚げを始めるが、あまりにも面白いので、親が夢中になって金坊に糸を渡さない。「こういうものは子供のする事ではない」と、取り合わない。金坊「こんな事なら、親父を連れて来るんじゃなかった」。
(http://ginjo.fc2web.com/014hatutenjin/tenjin.htm より転載)
今年はTVでだが、正月に『初天神』を2度観た。柳家小三治と柳家さん喬の落語だ。この兄弟弟子の対照は面白い。
さて二人の『初天神』。
さん喬のほうが、エピソードをふやしている。こちらが正本なのだろうか。
同じエピソード、例えば子どもの団子の蜜をなめるところ、どちらも甲乙つけがたい迫真の演技だ。小三治はととても旨そうに、しかし大雑把な風になめる。対するさん喬は、かなり神経質ななめ方だ。芸が細かい、というべきか。
クライマックスの凧揚げに夢中になるところも、やはり小三治のほうが破天荒。童心に帰って夢中に遊ぶ姿が微笑ましい。さん喬も夢中になる様子はハンパでないが、固い感じがする。それがかえって子どもの凧を奪ってしまう、という大人げないオチを際立たせてはいるのだが。
そう、二人の演じる「親父」像が異なっているのだ。
小三治の親父は、子ども心を保った、下町風の親父。さん喬の親父は、厳格な、ちょっと強面の親父。
(http://plaza.rakuten.co.jp/ponchiki1122/diary/200801260000/より転載)
さん喬の「初天神」、「あれ買って、これ買って」とは、け して言わないと、約束した金坊を連れてお参りに行く噺。 子供の出てくる噺 では、昔の金馬を思い出す。 高い声だった。 さん喬のは、声より、しぐさ と顔。 父親が、飴屋で、飴玉を選ぶところ、みたらしだんご屋で、蜜をなめ てしまって、蜜のカメにドボンとつけるところ、この噺の爆笑どころで、あと 一押しが足りなかったような気がした。
(http://kbaba.asablo.jp/blog/2006/01/29/229925より転載)
TBSチャンネルにて