真田小僧(さなだこぞう)
●こましゃくれた子供が父親から小遣いをせびるためにあの手この手のゴマすり、それでもダメだと分るとおっかさんが父親の留守に男を家に入れたと浮気を匂わせ、小遣いを受け取ると、それはただの按摩さんでしたと言って逃げ出します。
湯から戻ってきた女房に父親が息子に銭を巻き上げられた話をしながら、知恵のあるのは結構だが、どうせなら真田昌幸の息子のように、知恵で父親の絶体絶命のピンチを救うような息子になって欲しい、といって真田六文銭の旗印の由来を語ります。
その息子というのは後に大阪の陣で活躍した真田幸村ですが、父親は、幸村は大阪の陣では死なずに秀頼とともに薩摩に落ち延びた、と講談の知識で語ります。(ここがオチにつながる前振り)
最初の銭を使い果たして玄関に潜んでいた子供は父親の話を一度で覚えて披露しますが、六文銭とはどういうものか、と父親に尋ねます。父親は銭を6枚並べて説明し始めますが、息子はその銭をさらって家から飛び出します。
その子に向かって父親が「何に使うのか」と聞くと息子は「焼き芋を買うんだ」と答えます。そこで父親は「あいつも薩摩に落ちた」と下げて終わります。
(http://plaza.rakuten.co.jp/continuegouriki/diary/201006130000/より転載)
今日は三遊亭圓生師の「真田小僧」を上げました。
スタジオ録音ですが「百席」ではありません。
出囃子が無かったので、「寄席囃子」のCDから「正札附」を頭にくっけてみました。違和感なく聞けると思います。
今は寄席等でこの噺を演じる時は権太楼さんの作ったショートバージョンのサゲで演じられる様になってしまいましたね。
圓生師は本来の型で演じているので、このような噺もニコには有っても良いかと思いました。
(http://blog.livedoor.jp/isogaihajime/archives/1071250.htmlより転載)
マクラは子供が純粋で染まりやすいこと。くすぐりを入れすぎて演出過剰になりやすい噺を、比較的地味に、親子の普通の会話として描く。息子が大変しつこく、それがくすぐりと同じくらいの効果を上げている。地味だがリアリティのある筋立てでなかなかでした。
(http://yunomi.seesaa.net/article/98079205.htmlより転載)