二番煎じ(にばんせんじ)
●「火事は江戸の華」といわれた時代。寒さ厳しい冬のある晩、番太だけでは心もとないと、町内の旦那衆が夜回りをすることになった。番屋に集まった旦那衆は二組に分かれて夜回りに出る。
しかし余りの寒さに、懐で拍子木を打つやら、冷たい金棒を握って鳴らさずに紐で引きずるやら、宗助にいたっては股座に提灯を入れて暖をとるという横着ぶり。「火の用心」の掛声にしても、謡になるやら、新内になるやら。そこで出てきたのが、若い時分に勘当されて吉原で火の回りをしていたという辰つぁん。助六気取りで「火の用心、さっしゃりやしょーう」と決める。
そんなこんなで番屋に戻った一行。火を囲んで暖をとろうとすると、中に酒を持参した人がいて、皆に勧めようとする。月番も「お役人に見つかったらどうするんです」と建て前ではいいながら、瓢箪の酒を土瓶に移して火にかけ、これは煎じ薬と言い換えてしまう。その上、お誂え向きに猪鍋の用意までして来た人も出て、番屋内では猪鍋を口直しに「煎じ薬」を味わう始末。
やがて宴たけなわとなったころ、番屋の戸を叩いて「バン、バン」という声。野良犬かと思えば廻り方同心の登場に、一同動転して土瓶を隠し、宗助は股座に猪鍋を隠す。しどろもどろになりながら旦那衆、言い訳の挙句に「宗助さんが」「宗助さんが」と言い立てて責任逃れをしようとする。
しかし、土瓶と鍋を見逃してはいなかった同心。「ここのところ風邪気味」でと土瓶の「煎じ薬」を所望し、さらには宗助の股座で汁が褌に吸われた「口直し」を出させる。同心がこれらをすっかり平らげようとする勢いに、旦那衆はもう「煎じ薬」がないと告げると、
「しからば拙者いま一回りしてまいる。二番を煎じておけ」
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%95%AA%E7%85%8E%E3%81%98_(%E8%90%BD%E8%AA%9E) より転載)
前回、この噺をやるにはまだ早いということを言っていたので、今回はやるかなと思っていたが、果たしてそのとおり。
権太楼曰く、この噺には3つのポイントがあるのだという。
一、寒さの表現
二、人物の想定
三、番小屋での楽しさ
一は、口だけで「寒い」と言っているのではなく、体全体で表現することだと思う。
しかし、できていたのかとなるとよくわからない。
二は、複数キャラクターの演じ分けのことだと思う。
夜回りの人間が5人いて、それぞれの違いが出ていた。
特に「先生」と呼ばれる謡いの師匠がなんでも川柳にしてしまうという設定で、おもしろい。
三は、そのまんま。
もちろん楽しいのだが、肉を食べるところで見ているこちらも食べたくなるかというと、そこには至らず。
権太楼曰く、特に難しい噺とのこと。
そうだろうな。
(http://kamigatarakugo-and-art.at.webry.info/200711/article_14.html より転載)
見廻りの外の寒さ、番屋の火鉢の暖かさ、熱燗の美味さ、猪鍋の熱々。今の時期に観ると格別に首肯できる描写の確かさがある。
加えて、表向きと裏向きの、市井の人々の本心の心情が共感を呼び起こし、落語の神髄が表わされている噺だとも思える。相まって、権太楼師のキャラクターも親近感を与えるのだろう。思わず知らず笑ってしまった結構な高座だった。
(http://blog.livedoor.jp/kogakudo/archives/51639473.html より転載)
CDにて