孝行糖(こうこうとう)
●馬鹿だが、母親を大事にする与太郎が、徳を認められてお奉行様からご褒美をもらった。
放っといたらすぐに使っちまうからと、町内の人が飴屋の派手な衣装と綺麗な道具をそろえて与太郎に与えた。
「孝行糖、孝行糖、孝行糖の本来は、粳の小米に寒晒し、、、、、チャンチキテン、スケテンテン」の売り口上を教えると、馬鹿の一つ覚えで、毎日結構な売上をあげていた。
ある日、江戸市中で一番厳しい水戸様の御門前で「孝行糖、孝行糖」と始めたものだから、「御門前によって鳴り物はあいならぬ」と「チャンチキチン」、「ならぬ」ほい「スケテンテン」、「こら」よっと「テンドコドン」と注意されても鳴り物で合の手を入れる始末。揚げ句に六尺棒で叩かれ、あわや打ち首というところを、通りがかりの人が、事情を説明し、どうにか御赦免になった。
「可哀想に、与太郎、どこを打たれた」
「こうこうとう、こうこうとう」
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-88.html より転載)
もとは上方落語の小ネタだったのを、三遊亭金馬(三代目)という人が大阪から持ち帰り、創意工夫を凝らして江戸に移しかえ、高座にかけるようになったそうです。(『あたま山』とちょうど反対ですね)。数分の短い話なので、金馬師匠は、まくらの部分で、売り声・かけ声のネタを長く演じ、それを「孝行糖」(飴売り)の売り声の伏線にしています。それは、単に時間調節という消極的な理由を飛び越えて、何度聞いても聴衆を飽きさせないものがあります。それもそのはずで、この噺は金馬師匠の手塩をかけた十八番だったようです。
(http://d.hatena.ne.jp/nisuseteuryalus2/20110509/1304887363 より転載)
CDマガジン「落語 昭和の名人」にて