百年目 (ひゃくねんめ)
●お店の大番頭は奉公人の定吉と二番番頭に小言を言って出かけていった。外へ出ると、幇間の一八が近寄ってくるが、知らないふりをして帰らせた後、路地の駄菓子屋へ入り、衣服を着替えて柳橋へ行く。屋形船が用意してあり芸者を上げて花見をしようというのだ。知人に会うのをおそれ、障子を閉めて飲んでいたが、暑いので仕方なく障子を開ける。酒が回ってきたのか、幇間に進められ扇子で顔を隠して陸に上がり、踊りながら芸者を追いかける。一方、お店の旦那の医者の玄庵と花見に来ていた。玄庵が番頭を見つけ旦那に尋ねるが、間違いだと思い避けて通ろうとするが、自然に番頭が近づいてきて旦那を捕まえてしまった。旦那の顔を見た番頭、思わず「どうも、ご無沙汰しまして、皆さんお元気でいらっしゃいますでしょうか」旦那は皆に大事な人だから、遊ばせたら連れて帰ってきてくれと言い残して帰ってしまう。番頭は生きた心地がしないので、すぐにお店に帰り、風邪気味だと言って、二階へあがってしまう。しかし、悪いことばかり考えて、一睡もせずに夜が明けて、早くに起き水を打ったりしている。そうしているうちに、旦那に呼ばれる。旦那はお茶を勧めて、昨日のことを尋ね、帳簿を調べたことを話す。毛ほどの隙もないので嬉しくなりったので、商売のためならいくらでも金を使えと諭す。番頭が丁稚時代の昔話をした後で、旦那の由来を話す。天竺にまことに綺麗な栴檀(せんだん)という木があり、そこに汚い難莚草という草が生えている。この草を摘み取ると白檀は枯れてしまう。難莚草が枯れるときの肥やしになる。つゆを栴檀がおろしてやる。両方で持ちつ持たれつである。栴檀の檀と難莚草の難の字を取って檀難が由来だとのこと。番頭の商売の仕方を見るともう少し店の難莚草につゆをおろしてやれと諭す。番頭は恐縮する。旦那は嬉しいといって、二人お茶を飲みながら、暖簾分けまで辛抱するようにと頼む。番頭が店の方へ戻ろうとしたとき旦那が「ちょっと番頭さん待っておくれ。きのう、合ったとき妙なこと言ったね。ご無沙汰いたしましてとか。あれは何だい。ばかにあってないような、毎日、一緒にいながら」「あの時は、もう百年目かと思いました」
(http://yunomi.seesaa.net/article/9771741.htmlより転載)
『百年目』は40分を超える大作です。
米朝さん自身、一番難しい落語と解説にお書きになっています。船場の大店の日常を偲ぶぬくもりのある噺で、登場人物が大勢です。これは、CDで聞くのに向いているかもしれません。お弟子さんに小言を言って回るような感じですかね。
(Amazonカスタマーレビューより転載)
大舞台最後の演目として米朝師匠が選んだのは、『百年目』と『一文笛』。後者の『一文笛』は米朝師匠の自作で、最近は江戸の噺家さんが高座にかけていたりもする。一方、『百年目』は、40分はかかるという長講。師匠自身、「最も難しい」と言う上方落語屈指の大ネタだ。
…『百年目』は、米朝師匠のすごさが一番よく現れている演目、噺家・桂米朝の芸そのものと言えるだろう。
(http://www.log-osaka.jp/movement/vol.3/iwabuchi/buchi_vol5.htmlより転載)
人間国宝 桂米朝さん死去
2015年3月19日 22時36分
端正な語り口で知られる上方落語の第一人者で、人間国宝の桂米朝さんが、19日夜、肺炎のため亡くなりました。89歳でした。
桂米朝さん、本名、中川清さんは、大正14年に現在の中国東北部の大連で生まれ、21歳のとき、四代目の桂米團治に弟子入りしました。
上演されなくなっていた古典落語の演目を復活させ、端正な語り口で演じるなど、上方落語の復興に力を注ぎました。
故・桂枝雀さんなど、落語界をリードする多くの弟子を育てたほか、上方の文化を伝える著作なども発表しました。
こうした功績から、平成8年、落語界では2人目となる国の重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定され、平成21年には、古典落語の分野で初めて文化勲章を受章しました。
米朝さんは体調を崩し、入院して治療を受けていましたが、19日午後7時41分に肺炎のため亡くなりました。89歳でした。
(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150319/k10010021841000.htmlより転載)
ウィキペディア