※「たがや」は収録されていません。
たがや(たがや)
●両国橋の上は花火見物の人でいっぱい。そこへ本所の方から馬上ゆたかに塗り笠の侍。供の侍二人と槍持ちが一人で、花火見物承知で無粋にも橋を渡り始めた。反対の両国広小路の方からやって来た”たが屋”さん。
道具箱と青竹の”たが”を丸めて担いでいたが、人々に押されながら橋の中央まで来たがたまらず落としてしまうと、青竹のたががスルスルと伸びて馬上の殿様の陣笠を跳ね飛ばしてしまった。笠は川の中に落ちて、陣笠の中の土瓶敷きの様なものが残って、鼻から血を出しているので、回りの者が「ケポッ」と笑ったので、殿様カンカンに怒った。
「無礼者なおれ!。屋敷に来い!」、「お屋敷に行ったら首が無いので、親に免じて許して欲しい。」。何度も謝って許しを請うが「ならん!」の一言。たが屋さんけつをまくって、殿様に粋のいい啖呵で毒づく。殿様、我慢が出来ず、供侍に「切り捨て~ぃ」。
ガサガサの赤鰯(サビだらけの刀)で斬りつけるが喧嘩慣れしたたが屋さんに、反対に切り捨ててしまう。次の侍は出来るが、これもたが屋が幸いにも切り捨ててしまう。殿様槍をしごいてたが屋に向かうが、せんだんを切り落とされ、たが屋の踏み込むのが早く、殿様の首を「スパッ」。
中天高く上がった首に花火見物の人々が「たがや~」。
(http://ginjo.fc2web.com/029tagaya/tagaya.htmより転載)
久しぶりに小朝を生で聞いた。.
500人位入るホールがほぼ満員。さすがの人気
単純計算で500人×3500円で1750000円か。小朝のギャラは最低で100万円だろうな。年間200回くらい独演会をすると言っていたから、年収2億か?
噺は「たがや」「船徳」「愛宕山」
前日、気温が28度あったからか、この時期にまさかの夏の咄、「たがや」「船徳」
小朝の「たがや」懐かしかった。
若い頃の小朝の「たがや」は衝撃的だった。
上手いし面白い。感覚もフレッシュだった。落話界に新しい風が吹いてきたと思うくらい感激した。30年ぶりに聞いて相変わらずず滑舌はいいし、面白かった。
しかし、30年たっても変らない芸というのをどう考えるべきなんだろうかなあ。もっと枯れてもいいんじゃないかなとふと思った。
(http://ameblo.jp/felixtheluckycat/entry-11495666593.htmlより転載)
※「弥次郎」は収録されていません。
弥次郎(やじろう)
●うそつき弥次郎と異名をとるホラ吹き男。久しぶりに隠居の家にやってくると、さっそく吹きはじめた。
一年ばかり北海道に行っていたが、あまり寒いので、あちらでは凍ったお茶をかじっている。雨も凍って降るので、一本二本と数え、雨払いの棒を持って外出する。「おはよう」の挨拶まで凍って、それを一本いくらで買い、溶かして旅館の目覚まし用に使う……
次から次に言いたい放題。
火事が凍ったのを見て、見世物にしようと買い取り、牛方と牛五、六頭を雇って運ばせ、奥州南部へ。山中で火事が溶け、牛が丸焼け。水をかけても消えないから、これが本当の焼け牛に水。牛方が怒って追いかけてくるので、慌てて逃げだし、気がつくととっぷり日が暮れ、灯が見えたので近づくと山賊のアジト。山賊と大立ち回りになり、三間四方の大岩を小脇に抱え……「おい、三間四方の岩が、小脇に抱えられるかい?」「真ん中がくびれたひょうたん岩」「ふざけちゃいけない」岩をちぎっては投げ。「岩がちぎれるかい?」「できたてで柔らかい」
山賊を追っ払って、安心して眠りこけると山鳴りのような音。目を覚ましてみると大猪。逃げだして杉の木にかけ登ると、先客がいて、これが天狗。上に天狗、下に猪で進退極まった。猪が鼻面で木の根を掘りはじめ、グラグラ揺れる。そこで、ヒラリと猪の背中に飛び下りた。振り落とそうと跳ね回るので、股ぐらをさぐると、大きな金玉。押しいただいてギュッと握りつぶすと引っくり返ったので、止めを刺そうと腹を裂くと、中から子猪が十六匹。シシの十六。「馬鹿馬鹿しいや。おまえ、どこを握って殺した」「金玉で」「金玉ならオスだろう。オスの腹から子供が出るかい」「そこが畜生の浅ましさ」「冗談言っちゃいけねえ」
(http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2005/05/post_ad4d.htmlより転載)
入船亭扇橋師匠の「嘘つき弥次郎」気に入って、ずっと聞いている。リズムがいい、音楽を聞いているみたい。おかげで、「弥次郎」のウソの話がよくわかってきた。今までは、なんとなく、通り過ぎていった話だったけれど・・・
(http://blog.goo.ne.jp/funwari-time/e/90eff4daa5b382d6fac91a061ce82f8eより転載)
弥次郎(入船亭扇橋)
ほら吹きの男が旦那の前で吹き始めた。北海道へ行っていたが、寒くて何でも凍る。挨拶、小便はもちろん火事まで凍る。ある時は武者修行に恐山に行ったが、山賊に取り囲まれたときは石をちぎって投げてやっつけ、大猪に襲われたときは竹の上に逃げて、その枝が折れた音を鉄砲の音と猪が勘違いして気絶した間に睾丸引っ張り殺して腹を割くと十六頭の子猪が出てきたと嘘ばっかり。さらには、猪をやっつけたことを村の人に感謝され、庄屋の娘に惚れられた。女房にしてくれと言われたので紀州の貧窮山困窮寺へ逃げ込み、水瓶の中に隠れていた。娘が後を追って日高川の渡し場まで来たが船が出ないので、怒って川へ飛び込み一尺ばかりの蛇になって川を渡り、寺まで来て水瓶んお周りを七巻き半巻いたが、水瓶にナメクジがべっとりついていたので、ヘビがとけてしまった。頃合いを見て水瓶から出た姿はいい男で見せたかった。「そん時も武者修行かい」「いえ、安珍という山伏で」「どおりで、ほらを吹きとおした」
マクラは嘘について。落ち着いた穏やかな語り口だ。やや一本調子に聞こえるが、枯れた芸で、聞き手を選ぶ。いつもながら、しっかりとおやりになって充実感がある。後進に受け継いでもらいたい。
(http://yunomi.seesaa.net/article/6111341.htmlより転載)
落語家の入船亭扇橋さん死去
2015年7月11日16時00分
巧みな話術と奥行きのある語り口で人気を集めた、落語家の入船亭扇橋さんが10日、呼吸不全のため亡くなりました。84歳でした。
入船亭扇橋さんは、東京都で生まれ、昭和32年に26歳で3代目の桂三木助に弟子入りして落語家になりました。桂三木助が亡くなったあとは、5代目柳家小さん門下として昭和45年に真打ちに昇進し、9代目入船亭扇橋を襲名しました。
扇橋さんは「芝浜」や「文七元結」、それに「鰍沢」などの古典落語を得意とし、巧みな話術と奥行きのある語り口で人気を集めました。
昭和57年には文化庁芸術祭の最優秀賞を受賞したほか、NHKラジオ第一放送の公開演芸番組「真打ち競演」などにも出演し、古典落語の魅力を多くの人に伝えました。
落語協会によりますと、扇橋さんは脳梗塞のため、4年前から入院していたということですが、10日に呼吸不全のため亡くなりました。
(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150711/k10010147381000.htmlより転載)
ウィキペディア
ねずみ (ねずみ)
●江戸に下り、大工、政五郎の家に居候していた左甚五郎が、奥州の旅に出て仙台城下に入り、客引きの小僧に誘われるまま、鼠屋という見窄らしい小さな宿に泊まった。向かいには仙台一の大宿、虎屋がある。
店主の話によれば、以前は虎屋の主だったが、番頭に騙されて乗取られたという。
甚五郎は木片で鼠を彫って置いていった。名人甚五郎の鼠が動くというのが評判になり、鼠屋には連日客が大入りで、増築をし、奉公人も増えて来た。
一方、向かいの虎屋は寂れるばかりで、一計を案じた主人が飯田丹下に虎を彫らせて、鼠を見下ろす二階の手摺りに置いたところ、鼠が動かなくなってしまった。
知らせを受けた甚五郎は、二代目政五郎と共に駆けつけ、虎の出来はたいしたことがないと思った。そこで動かなくなった鼠にあの虎がそれほどに怖いのかと尋ねたところ
「あれは虎だったんですか、猫だと思った」
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-162.html より転載)
落語とか好きな人はやはり過激な方が多いわけで、好みも激しい方が多いわけですが、そんな中で、みんながみんな結構好きでその割にはアンチが居ないという点において、入船亭扇橋師匠は代表格のひとりになるのかなと思います。あとは、小遊三師匠とかもそうかもですね。他にもいらっしゃるでしょうけど。
さすがにお年をそれなりに召されているわけですが、扇橋師匠の「ねずみ」がしっかり映像で残っているというのは実に素晴らしいことだと思っています。このDVD、映像が収録された時期がそれぞれものすごいです…。
(http://d.hatena.ne.jp/kskmeuk/20140226/1393346818より転載)
「ねずみ」は、左甚五郎が、落ちぶれた宿屋をたてなおすストーリー。飄々とした語り口が、ふらりと立ち寄った旅の天才彫り物師にぴったりで、独特のかっこよさがあります。甚五郎相手にズケズケとものを言うとぼけた宿屋のこどもから、最後の最後に、胸のすくような一言を言う、甚五郎に命を吹き込まれたネズミの彫り物まで、すべての登場人物が生き生きとしています。もっとも、腰の立たない宿屋のおやじだけは、逆にしゃんとしすぎ?楽しく笑って、最後の一言でスカッとする。なんだか、よくできた映画でも観たような気分になりました。
扇橋師匠、ただのおじいさんではなかったようです。寄席での声援のわけが、何となくわかったような気がします。今度聞く時までには、何とかついていけるようになっていたいものだ、と思いました。やっぱり落語は奥が深い。
(http://nora-p.at.webry.info/200611/article_1.htmlより転載)
落語家の入船亭扇橋さん死去
2015年7月11日16時00分
巧みな話術と奥行きのある語り口で人気を集めた、落語家の入船亭扇橋さんが10日、呼吸不全のため亡くなりました。84歳でした。
入船亭扇橋さんは、東京都で生まれ、昭和32年に26歳で3代目の桂三木助に弟子入りして落語家になりました。桂三木助が亡くなったあとは、5代目柳家小さん門下として昭和45年に真打ちに昇進し、9代目入船亭扇橋を襲名しました。
扇橋さんは「芝浜」や「文七元結」、それに「鰍沢」などの古典落語を得意とし、巧みな話術と奥行きのある語り口で人気を集めました。
昭和57年には文化庁芸術祭の最優秀賞を受賞したほか、NHKラジオ第一放送の公開演芸番組「真打ち競演」などにも出演し、古典落語の魅力を多くの人に伝えました。
落語協会によりますと、扇橋さんは脳梗塞のため、4年前から入院していたということですが、10日に呼吸不全のため亡くなりました。
(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150711/k10010147381000.htmlより転載)
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