心眼(しんがん)
●横浜から顔色を変えて”梅喜(ばいき)”が歩いて帰ってきた。聞くと弟に「穀潰しのドメクラ」と何回も言われたという。それが悔しくて翌日自宅の馬道から茅場町の薬師様へ「どうか、目が明きます様に」と、願掛けに通った。女房”お竹”の優しい取りなしもあって、満願の日、願い叶って目が明いた。
その時薬師様のお堂の上で声を掛けられた、馬道の上総屋さんの顔も分からない。目が明くと道も分からないので、上総屋さんに手を引いてもらった。目の前を人力車が横切った。ビックリして眺めているとお客は綺麗な芸者だった。お竹と比べるとどっちが綺麗ですかと尋ねると、本人を目の前にしては失礼だが、東京で何番目という化け物の方に近いが、心だては東京はおろか日本中でも指を折るほどの貞女だ。似たもの夫婦の逆で、梅喜はいい男だがお竹さんはマズイ女だ。芸者の小春も役者よりお前の方がいい男だと言ってたぐらいだと、聞かされた。 浅草仲見世を通り、観音様でお詣りしていると、上総屋さんとはぐれてしまった。
お客の芸者”小春”が梅喜を見つけて、食事にと富士下の”待合い”に誘った。上総屋の知らせで観音堂に目が明いた梅喜が居ると知らされ喜んで来てみると、二人連れが待合いに入る所を見た。中の二人は酒に任せて、化け物女房は放り出すから、いしょになろうと相談していると、お竹が踏み込んで、梅喜の胸ぐらを締め上げた。「勘弁してくれ、苦し~い。お竹、俺が悪い。うぅ~」 。
「梅喜さん、どうしたの?」、うなされていたので梅喜を揺り起こした。夢であった。「一生懸命信心してね」、「あ~ぁ、もう信心はやめた」、「昨日まで思い詰めた信心を、どうしてよす気になったの」
「盲目というものは妙なものだね、寝ている内だけ良~く見える」。
(http://ginjo.fc2web.com/56singan/singan.htm より転載)
戦後は、八代目桂文楽の、文字通りの独壇場でした。
文楽は、二代目談洲楼燕枝から習ったこの噺を盲人のせつない心情をみごとに描ききった独自の人情ものとして磨き、その存命中はほかに誰も演じ手がないほどの極め付けでした。
(http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2005/08/post_c179.html より転載)
「心眼」は、今で言うところの放送差別用語のオンパレードであり、少なくとも、この当時の世間の「目の不自由なかた」に対する密かな差別感情を肯定的に捉えているという点は別としても、やはり、完璧であった。
(Amazonカスタマーレビューより転載)