黄金餅(こがねもち)
●あれ? 西念のやつ、薄暗い部屋で餅なんか並べて、何をやってんだろ。あんこだけ取り出してなめてるけど、嫌な食べ方だなぁ。餅だけ残したって仕方ないだろうに。なんか難しい顔して考え込んでるけど、さっさと食べてしまえよ。じれったいなぁ。おいおい、餅の中に、お金を詰め込み始めやがった。まさか、餅の中に金を入れて「金餅」なんて駄洒落じゃないだろうな。うわぁ、食っちまいやがった。ははぁ、さては、あいつ、ああやってお金を隠しておくつもりだな。これだから、ケチってのはやだねぇって、なんだ、急に苦しい顔して、まさか喉を詰めたんじゃないだろうな。おい、西念さん、大丈夫か、しっかりしろ。あれ、死んじまいやがったよ。どうする。
というわけで、ひょんなことから小金がいっぱい入った死体を持つことになってしまった男が、他人に知られないうちに、さっさと火葬して、まんまと金を手に入れるというのが、このお話です。
(http://homepage3.nifty.com/~tomikura/rakugo/k.html#KOGANEMOCHI より転載)
談志家元が、大阪で口演した「小金餅」。志ん生のテイストに新しい解釈も入れたものです。長屋からお寺までの道のりを地理に不案内な(私もそうでしたが)「アウエー」で如何に表現するでしたが、何とか乗り切っていますね。
(YouTube HIROSHIOGURAさんコメントより転載)
もともと、古今亭志ん生バージョンで聴いていたのですが、談志バージョンには、驚いた。同じ噺でも、演者によって、テイストがまったく異なるものだと、アット・ファーストに認識した1席でございます。
陰惨なストーリーですが、さて、どう演じるか?志ん生バージョンは、つとめて明るく、笑いをとります。ひるがえって、談志バージョンは。
貧困の世界から抜け出そうと、苦しみもがき、バチ当たりな行為に 手をそめようとする自分を、「ウナギ ってぇのがいったいどんなものなのかいっぺん味わってから死にてぇもんなぁ」と、正当化させます。
まさに、「生世話」の極北でございます。
(http://d.hatena.ne.jp/endo_mametaro/20080319/p2 より転載)
この回での演出は、山崎町の貧民窟のことに触れて話に入ったり、ケチ坊主西念の家の不潔さの描写などでイメージを膨らませている。この長屋の情景を聞くといつも、黒澤明が監督した「どん底」を思い出す。
談志もひょっとしたら考えにあるのかもしれないなぁ、それくらいあの映画の雰囲気がピッタリ重なる。
西念が金をくるんだ餅を飲み込む場面で状況説明を入れたりしていて丁寧、逆に言うとさえぎられる感覚もあって、省略してもいいかなと思える説明でもある。
さらに年齢を重ねた談志の、イマジネーションが途切れない「黄金餅」を思い出すとまだ過渡期と言える部分だろう。
(http://blog.livedoor.jp/no_go_tabi/archives/52030148.html より転載)
ニコニコ動画にて