芝浜(しばはま)
●毎日飲んだくれて仕事に行かない魚屋に女房が小言をたれる。明日から商いに出るから今夜を最後にたらふく飲ませろと、飲んだ翌朝、女房に起こされて、渋々商いに出かけた。
芝浜で日の出を眺めて一息付いていると皮袋の財布を見つけた、覗くと大金が入っている。慌てて家に戻り数えてみると四十二両、こんだけの金がありゃ稼ぐことぁねえ、酒だ酒だと飲み明かす。
翌朝目を覚ますと、女房が商いに行けとせっつく。あの金はどうした? と聞くがそんな物は知らない。納得出来ないが、夢でも見たかと心を入れ替えて真面目に働き、三年後には店を構え、使用人を雇うまでになった。
年も暮れて一息ついて女房が語りかけた。三年前の財布は夢じゃなかったんだ、あたしが隠しておいた。ここまでりっぱになったのはあんたの稼ぎのおかげ、もう大丈夫、さあ一杯おやりよ。
「いやよそう、また夢になるといけねえ」
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-31.html より転載)
この日の「芝浜」は、後日(同年12/21)立川談志自身が、『先日の「芝浜」は不思議なくらい旨く出来た。』『あれは神様がやらせてくれた最後の噺だったのかも知れない』と、語ったほどの「真迫の芝浜」だった。
・・・この日の「芝浜」を、生で聞けなかった談志ファンの方々は、ほんとに残念だったね。
2007年12月18日の談志の「芝浜」は、談志の生涯に残るような「鬼気迫るような芝浜」だったと思うぜ。人間覚悟が決まると、使う「一期一会」の言葉も意味がグッと深まるもんだが、この時に「一期一会」とは談志も良く言ったもんだ。
家 元が一所懸命なので、こちとらも真剣で言わなきゃなんねぇ訳さ。俺がくどくどと書いたのも、つまりは「命を惜しむより、名を惜しむ時期では?」と言いたい のさ。だけれど、家元の「大きなお世話だ。命や名を惜しむより先に、芸に狂ってるんじゃねぇか!」と言うダミ声が撥ね返ってきそうである。
(http://labdakidai.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/20071218_f913.html より転載)
MXテレビで談志の特集番組を見た。
去年の大晦日、同じくMXテレビで談志が「芝浜」を演るという噂で日本国中が騒然となったことは記憶に新しいだろう。
「談志が芝浜を演る」
これほど人の脈拍を早め、気持を急き立てる台詞があるだろうか。
チケットの取りにくい独演会に足を運ぶことなく、大晦日、酒を飲みながら談志の「芝浜」を聞くなどという贅沢が今の日本で許されるはずもなく、結局談志は「芝浜」を演らなかったわけだが。
聞いたことがない人に「談志の芝浜」とは何かを説明するのは難しい。
暖房が効いているはずの夜の劇場で、夜明けの寒さに思わず肩をすくめた経験は言葉では説明できないことのひとつだろう。
(http://www.kanshin.com/keyword/409486 より転載)
ニコニコ動画にて