三井の大黒(みついのだいこく)
●大工衆といざこざを起こした風来坊が西から来た番匠だと聞いて、棟梁の政五郎が仕事を手伝って貰おうと自宅に連れ帰った。
出身地が飛騨の高山だと聞いて、神様か名人かと言われる甚五郎先生のところだ。ところでお前は誰だと聞かれて、自分が甚五郎だとは言いづらくなり、ぽんしゅうという名をつけて貰って居候になる。
翌日、板削りを命じられると、二枚の板を削った。この板を合わせたところピッタリ着いて剥がれない、腕がよい証拠だった。
時が過ぎたある日、ぽんしゅうが大黒を彫り出した。出来上がったころ、小僧に手紙を託した。すると、日本橋の越後屋の手代が駆けつけて、出来上がった大黒を見て大満足だと大金を払、甚五郎だと明らかになった。
運慶作の恵比須と並べて置くので、恵比須に付いていた「商いは濡れ手で粟の一掴み」に続けて「護らせたまえ二つ神達」と記した。
三井に残る甚五郎の大黒です。
※「一掴み」と「一つ神」 「二つ神」と「二掴み」をかけた。
(http://mengjian.blog104.fc2.com/blog-entry-120.html より転載)
三木助最後の高座は1960年秋の東横落語会における「三井の大黒」であった。すでに身体は病魔に蝕まれ両足が腫れ歩行困難の状態であった。仕方なく足前に釈台を置いて投げだした足を隠し、
「ええ、まことに不思議な形でお目どおりをいたします。我々の仲間では金馬がこのような形で演じていますが・・・・実は足が酷くむくみまして、座ることが出来ないン・・・。足を投げ出してはお客様に失礼にあたる、・・・実は出してるんですけれど。(客席爆笑)」
と自身の病状を笑いに済ませ、1時間近く演じた「三井の大黒」は実によい出来であった。
(http://ginjo.fc2web.com/129mituinodaikoku/mituino_daikoku.htm より転載)
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