宿屋の仇討(やどやのあだうち)
●旅籠屋に年頃三十二、三の侍が泊まった。前夜は小田原の宿に泊まったところ、まわりがうるさくて寝られなかったので、今夜は静かな部屋に案内しろという。ところがこのあと江戸の魚河岸の若い者が三人泊まりドンチャンさわぎをはじめた。侍が宿の者に注意させるとその場は静かになったが、また相撲をとりはじめたりする。そのうちに、三人のうちの一人源兵衛が情事の話をはじめ、三年前に川越に行って伯父のところで小間物屋の手伝いをしているとき、石坂段右衛門という侍の新造とできて、段右衛門の留守に間男しているところを段右衛門の弟の石坂大助に見つかった。逃げ出すと追いかけてきた大助が運よくころんで、刀をほおり出したので、その刀で大助を殺した。新造は五十両の金をくれて、これを持って私と一緒に逃げてくれという。「ようござんす」と金を受け取ると新造も殺して逃げてきた。金を五十両貰って、間男して、人を二人殺して、三年たっていまだに知れないと得意になっていると、泊まっている侍が石坂段右衛門だと名乗り、当家へ迷惑がかかってはいけないから、明朝当宿はずれにおいて出合いがたきといたそうということになった。口から出まかせをいっていた源兵衛はびっくりしたがもう手おくれ、三人は宿の者に荒縄で柱にしばられてしまった。翌朝侍が立とうとするので、宿の者が仇討ちはときくと、そんなものは知らんという。「あ、ゆうべのあれか、あれは座興じゃ」「なんだってそんな口から出まかせをおっしゃったんで」「あのくらいに申しておかんとな、拙者が夜っぴて寝られん」
(http://www.tacto.jp/rakugo/kaisetsu/yadoyano-adauchi.htm より転載)
昭和四十年、新宿の紀伊国屋ホールにおいて、第一回〈立川談志ひとり会〉が開催された。このホールで落語家が独演会を開くのは初めてのことで、〈ひとり会〉という名称も前代未聞、すべてにおいて斬新であった。会のキャッチフレーズは『伝統を現代に』。これは後に国政選挙に出る時のスローガンにもなる。
高校二年生の私は第一回目から出かけた。トリの出し物は『宿屋の仇討ち』。今考えれば珍しいネタだが、当時の談志は幅広いジャンルのネタに挑戦していたいから不思議でもなんでもない。
(http://www.publiday.com/publiday/081/016.html より転載)
ニコニコ動画にて