九州吹き戻し(きゅうしゅうふきもどし)
●放蕩の挙げ句、お決まりで勘当された、元若だんなのきたり喜之助。それならいっそ、遊びのしみ込んだ体を生かそうと幇間(たいこもち)になったが、金を湯水のごとく使った癖が抜けず、増えるのは不義理と借金ばかり。
これでは江戸にいられないと、夜逃げ同然に流れ流れてとうとう肥後の熊本城下へ。一目で一文なしとわかるみずぼらしい風体になったので、どの宿屋も呼び込んでくれない。ふと眼についたのが、江戸屋という旅籠(はたご)の看板。江戸という名の懐かしさに、えい、なんとかなるだろうとずうずうしく上がり込み、明日は明日の風が吹くとばかり、その夜は酒をのんでぐっすり寝入ってしまった。
翌朝、「おや、喜之さんじゃなか」と誰かが声を掛けるので、ひょいと見ると昔なじみで、湯屋同朋町にいた大和屋のだんな。このだんなも商売をしくじり、江戸を売って遙々この地へ流れ着き、今ではこの旅籠の主人。喜之助、地獄に仏とばかり、だんなに頼んで板場を手伝わせてもらい、時には幇間の「本業」を生かして座敷にも出るといったわけで、客の取り持ちはさすがにうまいので、にわかに羽振りがよくなった。こうして足掛け四年辛抱して、貯まった金が九十六両。
ある日、だんなが、おまえさんの辛抱もようやく身を結んできたんだから、あと百両も貯めたらおかみさんをもらい、江戸屋ののれんを分けて末永く兄弟分になろうと言ってくれたが、喜之助はここに骨を埋める気はさらさらない。日ごと夜ごと、江戸恋しさはつのるばかり。そこでだんなに、一人のおふくろが心配で、と切り出すと、おまえさんのおっかさんはもう亡くなっているはずだがと、苦笑しながらも、まあ、そんなに帰りたければと、親切にも贔屓(ひいき)のだんな衆に奉賀帳を回して二十両余を足し前にし、餞別(せんべつ)代わりに渡してくれた。
出発の前夜、夢にまで見た江戸の地が踏めると、もういても立ってもいられない喜之助、夜が明けないうちに江戸屋を飛び出し、浜辺をさまよっていると、折よく千五百石積の江戸行きの元船(荷船)の水手(かこ=船乗り)に出会った。便船(荷船に客を乗せること)は天下のご法度だが、病気のおふくろに会いに行くならいいだろうと、特別に乗せてもらうことになった。海上に出てしばらくは申し分ないよい天気で、船は追い風をはらんで矢のように進んだが、玄界灘にさしかかるころ、西の空から赤い縞(しま)のような雲が出たと思うと、雷鳴とともにたちまち大嵐となった。帆柱は折れ、荷打ちといって米俵以外の荷は全て海に投げ込み、一同、水天宮さまに祈ったが、嵐は二日二晩荒れ狂う。
三日目の夜明けに打ち上げられたのが、薩摩(さつま)の桜島。江戸までは四百里、熊本からは二百八里。帰りを急ぎ過ぎたため、百二十里も吹き戻されたという話。
(http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2006/10/post_aa3b.htmlより転載)
今日は立川談春師の「九州吹き戻し」です。
…大ネタです。談志師と談春師以外で演じる人いるのかな?
この録音は初演の時のものです。ずうーと聞いている方に言わせると、最近はかなりこなれて、素晴らしい出来だそうです。
…噺を聴くと、大河ドラマみたいな感じがしますね。三遊宗家の藤浦さんがこの噺の脚本を談志師匠の為に書いたそうです。それを元に演じてるのだと思いますが、どうなんでしょう?
私は前半が、「居残り」みたいで好きになりました。後半の嵐のシーンがなんか付け足しの様な気がしましたね。うがった聞き方ですかね。
(http://blog.livedoor.jp/isogaihajime/archives/1157869.htmlより転載)
「談志家元に言われて『九州吹き戻し』をやってみることになったのですが、ネタ下ろしに家元を招いて、CD録音をするのは、おかしいでしょう。一生残るんですから。」とも仰ってました。
また、家元の本「立川談志遺言大全集」の「九州吹き戻し」に、「談春なら出来るかもしれない・・・」と書いて有ります。「やれ」と言わないところが、家元らしい。「『やる・やらない』の選択権はお前にあるんだぞ」と言っている」という風にも仰っておられました。
(http://blog.livedoor.jp/mu2009no/archives/51914186.htmlより転載)